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鯨吼期
「意識がはっきりしてくると、辛いこと、苦いこと、怒るべきことばかりだ。
こんなことなら、ずっと子供のままの方がよかった。」
僕の友人がそう言った。
「知らないでいる幸せと、知って味わう苦痛か。僕は、早く大人になりたい。」
「大人を見ていて、大人になりたいなんてどうして思えるようになる?」
「大人から見える世界は、僕らが見る世界と違うだろうからさ」
「知って味わう苦痛?」
「苦痛に満ちているかどうかさえ、僕らは知らない」
「変わってしまうのかい、君は」
「その時までわからない。」
永遠に子供でいられる今、彼は、幸せだろうか。
------------------------------
子猫がフラフラと行く。
草原どころか、死骸の街が見えないうちにその足取りは怪しくなる。
前足を出し切れないで、関節のところで地面についてしまう。
体重がかかり、前のめりに倒れかける。疲労で歩幅はさらに狭まる。
げっ歯類の穴に隠れ少し眠る。
(なるほどこうして、弱い生き物に寄生し身を守っていたのか)
それらを狩れるほど子猫は大きくない。
家主が戻ってくると、追い出される事もあったが、巣穴が広い場合は迷惑そうな顔をするだけで放って置かれた。
子猫は虫やトカゲを食べる。
捕えた物を、逃げられない程度に遊ばせ、
最後には決まって右の前足でゆっくりと力をこめて押しつぶす。
彼の手のひらの下では、どのような感触がひしめいているのかと思うと、ぞっとした。
-------------------------------
虫やトカゲでは、やはり充分ではないと見える。
子猫はさらに痩せていく。
けれど彼が僕の用意した物を食べるとは思えない。
無理やり何かをするのはよくない。
(彼がすっかり眠ってしまったら、こっそり点滴をうち、という事を繰り返すかなあ)
けれどなんとはなし、彼が針に気がつかないほど深く眠るとも思えない。
そんな事を考えていると、前方の子猫が急に、歩きながら倒れた。
気を失ったのか、と駆けつけると
子猫の目はいつものように、既にこちらを見据えていた。
「つけてきていたんだな」
「寝たふりしたね?」
沈黙の後、子猫は体を起こし歩き出す。
僕はまた、距離をとってついて行く。
----------------------------------
それから子猫は決して休まなかった。
しまいには僕が疲れてうとうととしてしまい、その内に姿を消した。
----------------------------------
僕は彼を諦めた。
そして一人草原に行き、くじら君を待っていた。
僕はくじら君の巡回ルートを知っている。
今の所、くじら君にもっとも近づける場所―くじら君がもっとも陸に近づく場所、
そこに立っては毎日、くじら君に話しかけている。
彼がききわけてくれればと願い毎日話しかけるが、実際には彼の耳に届いているのかすらわからない。
もし彼が僕の話を理解しているのにきかないのでは、僕はもう、彼にしてやれることはない。
(彼のためのわずかな幸福は、一体何があるのだろう。
彼が何を考えていたのか、今、考えているのか、
そもそも考える事が出来るのかすら解らないが
僕がこうしてしまったくじら君なのだから、僕は僕の出来るかぎり彼と向き合わなけりゃあ)
---------------------------------
くじら君が崖に最も近づいたと思われる、その瞬間、
僕は背中越しに激しい草の根を聞いた。
いつの間にか子猫が僕の方をつけていた。
子猫は背の高い柔らかな枯れ木にしがみつき、棒高跳びの用量でくじらの方向へ飛ぶ。
飛距離は全く足りないものと思われた、しかし
彼がそれを計算したのかどうかはわからないが、小さな体はくじらの起こす突風に乗り、一瞬、空を飛ぶ。
子猫はくじらの右ヒレの付け根に引っかかる。
そして思い切り噛み付くが、彼の生え揃わない牙では、くじらには何の感覚も与えないらしい。
僕は黙って見ている。
(子猫が振り落とされた時には、すくい上げることにしよう。)
子猫が柔らかい爪を引っ掛け、だんだんとくじらの横腹を伝って行く。
あっ、
とおもう間に子猫はくじらの右の目にたどり着いた。
必死に引っ掻き、噛み付く、くじらが瞬きをしようとする。
子猫は眼球と眼孔の間に潜りこむ。暴れる。
くじらが暴れる。
目は硬く閉じられ、かすかにまぶたが波のように、凹凸を繰り返す。
くじらが吼える。
必死に身体をくねらせ、頭を振り回すが、まぶたの裏の敵はふりおちやしない。
暴れるくじらは、崖に顔の左側面を思い切りぶつける。
ひどい地震のような揺れが僕の視界を揺らす。
(まずい)
僕は二足の足で空を駆け、くじらの背に針を突き刺し、身体にしがみつく。
風で目が痛む。子猫を止めなければ、と薄く目を向けた先、
時は遅く、大粒の涙に包まれた子猫が、宙に投げ出されていた。
反射的に手を伸ばす。子猫は見えないほどに小さくなる。波にさらわれていく浮き輪を見るようだった。
自分もそれどころではない。
両の目を失ったくじらは、今、どこが空だかわからないらしく、地面へとまっさかさまに突っ込んでいく。
僕は体を作り変える用量で、くじらの体という体の、連結させる力という力を八方に散らす。
磁石のS極同士N極同士のようにそれらははじきあい、逃げ場を探し、またはじきあう。
くじらの体を構成する物質の蠢く空間が現れ、空中で一度、衝撃なしに、ふわりと浮いた感覚が起こる。
空気よりもおもいもの、かたいものの為、重力に引っ張られるのに少し抵抗が加わる。
それでも中々の高さから落ちたのだが、
のら達は皆ちゃんと空中でバランスをとり、足で着地出来なかったのは鈍くさい僕くらいのものだった。
いそいでばらばらになっていくくじらの体をまた引き寄せ、連結させ、今度は人位の大きさの塊にまとめた。
多く霧散してしまったと見え、それは僕よりも小さな子供くらいにしかならなかった。
やっと外へ出られたはずののら達は、僕が思っていたよりずっとのんきで
くじら君が飲み込んだのであろう鳥や獣を食べ、残り物の羽や骨で遊んでいた。
くじら君がぶつかった崖のほうは大きく崩れ、今は少し急なだけの斜面となった。
驚声のような、悲鳴のような、声を聞いて僕ははっとして辺りを見回す。
「おい、しっかりしろ、しっかりしろ!」
「ミミズ」
ミミズ君が子猫を抱いている。
彼はくじらに振り落とされ、僕が行動を起こすよりも早く地面に激突した。
「なまえ、くれ」
「名前!?そんなの、みんな勝手に、すきなの名のって―」
「ぼくに、なまえ、つけてくれ」
とつぜん、カミナリの様な大声を上げ、ミミズ君が泣き出す。
僕は、猫がこんなに泣くのをはじめて見た。
子猫の最後の言葉だった。
崩れた崖を見る。
ああ、あれは、ケン君を殺したあの崖じゃないか。
こんなことなら、ずっと子供のままの方がよかった。」
僕の友人がそう言った。
「知らないでいる幸せと、知って味わう苦痛か。僕は、早く大人になりたい。」
「大人を見ていて、大人になりたいなんてどうして思えるようになる?」
「大人から見える世界は、僕らが見る世界と違うだろうからさ」
「知って味わう苦痛?」
「苦痛に満ちているかどうかさえ、僕らは知らない」
「変わってしまうのかい、君は」
「その時までわからない。」
永遠に子供でいられる今、彼は、幸せだろうか。
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子猫がフラフラと行く。
草原どころか、死骸の街が見えないうちにその足取りは怪しくなる。
前足を出し切れないで、関節のところで地面についてしまう。
体重がかかり、前のめりに倒れかける。疲労で歩幅はさらに狭まる。
げっ歯類の穴に隠れ少し眠る。
(なるほどこうして、弱い生き物に寄生し身を守っていたのか)
それらを狩れるほど子猫は大きくない。
家主が戻ってくると、追い出される事もあったが、巣穴が広い場合は迷惑そうな顔をするだけで放って置かれた。
子猫は虫やトカゲを食べる。
捕えた物を、逃げられない程度に遊ばせ、
最後には決まって右の前足でゆっくりと力をこめて押しつぶす。
彼の手のひらの下では、どのような感触がひしめいているのかと思うと、ぞっとした。
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虫やトカゲでは、やはり充分ではないと見える。
子猫はさらに痩せていく。
けれど彼が僕の用意した物を食べるとは思えない。
無理やり何かをするのはよくない。
(彼がすっかり眠ってしまったら、こっそり点滴をうち、という事を繰り返すかなあ)
けれどなんとはなし、彼が針に気がつかないほど深く眠るとも思えない。
そんな事を考えていると、前方の子猫が急に、歩きながら倒れた。
気を失ったのか、と駆けつけると
子猫の目はいつものように、既にこちらを見据えていた。
「つけてきていたんだな」
「寝たふりしたね?」
沈黙の後、子猫は体を起こし歩き出す。
僕はまた、距離をとってついて行く。
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それから子猫は決して休まなかった。
しまいには僕が疲れてうとうととしてしまい、その内に姿を消した。
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僕は彼を諦めた。
そして一人草原に行き、くじら君を待っていた。
僕はくじら君の巡回ルートを知っている。
今の所、くじら君にもっとも近づける場所―くじら君がもっとも陸に近づく場所、
そこに立っては毎日、くじら君に話しかけている。
彼がききわけてくれればと願い毎日話しかけるが、実際には彼の耳に届いているのかすらわからない。
もし彼が僕の話を理解しているのにきかないのでは、僕はもう、彼にしてやれることはない。
(彼のためのわずかな幸福は、一体何があるのだろう。
彼が何を考えていたのか、今、考えているのか、
そもそも考える事が出来るのかすら解らないが
僕がこうしてしまったくじら君なのだから、僕は僕の出来るかぎり彼と向き合わなけりゃあ)
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くじら君が崖に最も近づいたと思われる、その瞬間、
僕は背中越しに激しい草の根を聞いた。
いつの間にか子猫が僕の方をつけていた。
子猫は背の高い柔らかな枯れ木にしがみつき、棒高跳びの用量でくじらの方向へ飛ぶ。
飛距離は全く足りないものと思われた、しかし
彼がそれを計算したのかどうかはわからないが、小さな体はくじらの起こす突風に乗り、一瞬、空を飛ぶ。
子猫はくじらの右ヒレの付け根に引っかかる。
そして思い切り噛み付くが、彼の生え揃わない牙では、くじらには何の感覚も与えないらしい。
僕は黙って見ている。
(子猫が振り落とされた時には、すくい上げることにしよう。)
子猫が柔らかい爪を引っ掛け、だんだんとくじらの横腹を伝って行く。
あっ、
とおもう間に子猫はくじらの右の目にたどり着いた。
必死に引っ掻き、噛み付く、くじらが瞬きをしようとする。
子猫は眼球と眼孔の間に潜りこむ。暴れる。
くじらが暴れる。
目は硬く閉じられ、かすかにまぶたが波のように、凹凸を繰り返す。
くじらが吼える。
必死に身体をくねらせ、頭を振り回すが、まぶたの裏の敵はふりおちやしない。
暴れるくじらは、崖に顔の左側面を思い切りぶつける。
ひどい地震のような揺れが僕の視界を揺らす。
(まずい)
僕は二足の足で空を駆け、くじらの背に針を突き刺し、身体にしがみつく。
風で目が痛む。子猫を止めなければ、と薄く目を向けた先、
時は遅く、大粒の涙に包まれた子猫が、宙に投げ出されていた。
反射的に手を伸ばす。子猫は見えないほどに小さくなる。波にさらわれていく浮き輪を見るようだった。
自分もそれどころではない。
両の目を失ったくじらは、今、どこが空だかわからないらしく、地面へとまっさかさまに突っ込んでいく。
僕は体を作り変える用量で、くじらの体という体の、連結させる力という力を八方に散らす。
磁石のS極同士N極同士のようにそれらははじきあい、逃げ場を探し、またはじきあう。
くじらの体を構成する物質の蠢く空間が現れ、空中で一度、衝撃なしに、ふわりと浮いた感覚が起こる。
空気よりもおもいもの、かたいものの為、重力に引っ張られるのに少し抵抗が加わる。
それでも中々の高さから落ちたのだが、
のら達は皆ちゃんと空中でバランスをとり、足で着地出来なかったのは鈍くさい僕くらいのものだった。
いそいでばらばらになっていくくじらの体をまた引き寄せ、連結させ、今度は人位の大きさの塊にまとめた。
多く霧散してしまったと見え、それは僕よりも小さな子供くらいにしかならなかった。
やっと外へ出られたはずののら達は、僕が思っていたよりずっとのんきで
くじら君が飲み込んだのであろう鳥や獣を食べ、残り物の羽や骨で遊んでいた。
くじら君がぶつかった崖のほうは大きく崩れ、今は少し急なだけの斜面となった。
驚声のような、悲鳴のような、声を聞いて僕ははっとして辺りを見回す。
「おい、しっかりしろ、しっかりしろ!」
「ミミズ」
ミミズ君が子猫を抱いている。
彼はくじらに振り落とされ、僕が行動を起こすよりも早く地面に激突した。
「なまえ、くれ」
「名前!?そんなの、みんな勝手に、すきなの名のって―」
「ぼくに、なまえ、つけてくれ」
とつぜん、カミナリの様な大声を上げ、ミミズ君が泣き出す。
僕は、猫がこんなに泣くのをはじめて見た。
子猫の最後の言葉だった。
崩れた崖を見る。
ああ、あれは、ケン君を殺したあの崖じゃないか。
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